クラシック音楽手帖

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ショスタコーヴィチ《交響曲第12番》はそんなに駄作か?

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ショスタコーヴィチ交響曲には、世間で評価の高いものと、そうでないものとに大きく分かれるようです。生前の言葉通り、時代の潮流に乗った作曲家ではあっても、厳しいですね。

 

ショスタコーヴィチ(以下、ショスタコと略す)の生きたソ連は、言うまでもなく「ややこしい」国でした。スターリンの独裁下での血なまぐさい話は、知るほどに恐ろしく、理不尽なものです。ショスタコはそんな時代に、モロに生きてきた作曲家だったのです。

アーティストだけに嫌でもステージで目立つので、体制を批判したり沿わない作品を発表しようものなら、もう明日は命がありません。

 

 

 

体制との微妙な関係を、時には体制に挑発的な態度をとり、時には弾圧を恐れて顔色をうかがいながら、生涯ずっと作曲に取り組んでいたショスタコ。心病んでもおかしくない状況ですね。

交響曲第12番「1917年」》の作曲された頃にはすでにスターリンは没し、恐怖政治はいったん収まりをみせます。とはいえ、大国ソ連の「ややこしい」姿勢は相変わらずで、芸術に対する口出しも日常茶飯事だったようです。

《第12番》の作曲には、共産党に嫌々入党させられたことと関連しています。交響曲中に革命歌が引用され、レーニンを称える交響曲として設定されていた。ま、二枚舌のショスタコがどこまで本気で思っていたか、分かりませんが。

そうした経緯もあってか、世間的に評価の低い交響曲《第12番》には、弾圧に屈した作品という負の影が見え隠れしています。それを証明するかのように、名盤といわれるものが乏しいです。どの指揮者も、《第12番》だけは見なかったことにようにするかのように、軽く受け流すような気がします。

 

それでも一枚だけ、私が貧乏な時でも中古レコードの老舗ディスクユニオンに手放さなかった、これぞという《第12番》のCDがありました。ムラヴィンスキーレニングラードフィルを振って、1984年にデジタル・ライブ録音したディスクです!

 

たいていのオーケストラは遠慮がちに力なく演奏するこの音楽を、ムラヴィンスキーは圧倒的な自信を加味してアップテンポ気味に演奏していきます。レニングラード特有の金管の響きも力強くバックを支えています。

どうやら、このムラヴィンスキーのCDの一番の強みは、ライブ録音だという点にありそうです。1984年といえばまだアメリカとソ連は冷戦時代。そんなギスギスした時代の空気を背景に、観客の緊張と切磋琢磨しながら、想定以上の音楽効果を得ることに成功している。それがこのムラヴィンスキーの指揮する《第12番》なのです。

アレグロ部のぐいぐい来る勢いもさることながら、アダージョ部の音には冷たい空気がありありと刻印されている気がします。呪術的な録音といっても違和を感じません。

 

でも、いつまでショスタコの音楽は、過去の亡霊を背負わなくてはならないのでしょうか?ソ連の歴史が根底にあって、その上に右往左往する作曲家がいて、中には不本意に思う作曲家もいて、創作作品の中に隠された意味を含ませ活動したのがショスタコだといわれています。

たとえ《第12番》が望まない背景を持つ作曲だったとしても、私の聴いたこのムラヴィンスキーの演奏には、確かに音楽が息づいています。いつの日か、音楽が政治背景など諸々を忘れた時に、《第12番》はもう少し楽しまれてもいいのではないでしょうか。

 

 このムラヴィンスキーの指揮するCDは、ソ連のレコード会社メロディアにより録音され、ビクターが日本国内で発売した盤です。ブックレットは、紙質も優れています。買ってから長年経つ割には傷まなかった。そんなところに、売る側の本気度がうかがえますね。