今回は、映画で使われた音楽から一曲紹介しようと思います。
音楽は他のジャンルと結びつくことで、思いもかけない効果をみせることがあったりします。ダンスに、小説に、映像に組み合わされるなど、それぞれのジャンルで独特の役割を発揮している。手塚治虫もクラシック音楽をアニメーションで表現することに、かなりこだわっていた。
でも、異なるメディアを結びつけるのは、難しい。映画のためにオリジナルで作曲されたのなら、ストーリーに沿った音楽を形作ればいいわけです。でも、もともと音楽だけで完結していたものを、あとから映像という別の要素と組み合わせるため、難易度が高くなるはずです。
どのように演出に工夫するかは、監督次第。
今から遡ること半世紀前に公開された映画『2001年宇宙の旅(原題 2001: A Space Odyssey)』は、クラシック音楽が好きな人にはおすすめです。リヒャルト・シュトラウスの《ツァラトゥストラはこう語った》の冒頭のファンファーレを、世界的に認知度を高めたのは、この映画のインパクトが強かった。ヨハン・シュトラウス2世の《青く美しきドナウ》をSF映画で無重力航行の背景として使用したのも衝撃。さらにはジョルジュ・リゲティの現代音楽を採用したことは、単なる映画音楽を越えた映画全体の性格づけにもなっていて、異様な世界に引き込んでしまいます。
1. 長い旅路への音楽
そんな映画『2001年宇宙の旅』の中盤あたりに、木星に向けて孤独な旅を続ける船員を描くシーンがあります。
ほかの船員が冬眠で仮死状態のあいだ、少人数で目を覚まして宇宙航海を続けている。シャドーボクシングしながら船内をジョギングする場面は、ハードロックが流れそうなシーン。でも、鬼才の監督スタンリー・キューブリックは、静かな舞踏曲をその場面でで使用します。
その音楽は、ソ連の作曲家アラム・ハチャトゥリアンの組曲《ガイーヌ》の静かな一曲「アダージョ」です。
Gayane Ballet Suite (Adagio) (2001: A Space Odyssey Soundtrack)
この「アダージョ」は、虚空を漂うクルーの孤独を端的に代弁しています。非常に冷たい音楽で、ハチャトゥリアンらしい息の長い旋律です。悲哀と希望が混ざり合ったような、絶望とは違った雰囲気をもっています。
宇宙船の奇妙な形が精子のメタファーで、新しい世界へ受精するという、不思議な解釈もあるSF映画。この旅路の孤独感は不安の真っ只中ではあるけれど、未踏の最果てへの旅路につく者への弔いの想いが、ふと頭をよぎる。新たな希望へとつながっていく、そう思いたい気がします。
そうだね。
2. 冷戦時代の意外な選曲
映画では、ロジェストヴェンスキー指揮レニングラード・フィルの演奏の録音を使用しているようです。Discogsの情報に載っていました。
ロジェストヴェンスキーは傍若無人な荒い指揮が目立つ指揮者ですが、プロコフィエフの《ロメオとジュリエット》で聴くようにスローテンポの箇所でカリスマ的な味を出す才能を持っています。
なお、映画公開時の1968年、まだ冷戦時の世界の中で、この選曲は結構勇気の必要なものだったはずです。
原曲《ガイーヌ》はバレエ音楽。ソ連のプロパガンダ的な要素が色濃いストーリーを持っていました。もちろん宇宙とは一切関係のない音楽です。
政治的な音楽だけに、映画音楽という「きっかけ」がなければ「アダージョ」が注目を浴びることはなかったと思います。
クラシック音楽の効果が尋常を越えてる。
「2001年」というのは「未来への入口」のメタファーだったんだなと思った。
2001年からもう20年が経ったもんね。
大切な人の死を知って、この予告編を観ると、あながちSFじゃないという気がする。これで終わりであって欲しくないなあって。