聴く/読むのON/OFF

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2月11日(Thu)祝日

クラシック音楽は、無性に聴きあさる時と、まったく聴かない時の両極端に分かれる。

作曲家でも、無性に聴きたくなる作曲家だけを聴きまくって、聴かない時は嘘みたいに手にも取らない。

最近、マーラーを聴いていない。

 

似たようなことは、読書でも起きる。読みたい時は没頭して読む。最近だと、大江健三郎の『M/T』だとか『治療塔惑星』を読んだり、絲山秋子に夢中になったり。そして一時期の潮が引くように、CDや本はケースに仕舞われる

 

音楽も読書も、無ければ無いでも生活はできる。No Music, No Life. なんて宣伝文句があるけれど、本当にそうかな?と疑問に思う。

僕の場合、明らかに違うみたいだ。

 

心が必要としている凹っとした箇所ができると、音楽や読書を求めだす、そんな気がする。凹を埋めるのだから、凹のサイズに合った音楽なり本なりでないと、意味がない。「あ、これいいな」と思えるようなサイズと色の服みたいに。だから、どんな音楽を聴こうか、どんな本に没頭しようか、選んでいる自分が確かに居る。

そして凹が凸になった時、もう今は要らないやと、なるんじゃないかなと。

そしてまた、凹んだ時に選んで聴き出して読みだす。

十代の頃は十代の青い凹み、二十代の頃には二十代のでかい凹みがあって、五十代になった今だとこれまでとまた違う凹みがあるようだ。

 

不思議だなと思う。

 

2月12日(Fri)

今日口ずさんでいたのは、

の2曲だった。

CDを回さなくても、記憶の中で蘇らせて悦に入っているというのも、不思議だなとつくづく思う。明日は休みだと気が軽いのか、1ヵ月以上ぶりに星影写真を撮る。

 

2月13日(Sat)

今日は口ずさむことは少なかったが、オンライン配信で、

に夢中になっていた。CAPSULEはエレクトロニック。

 

2月14日(Sun)

今朝はプロコフィエフの《チェロ・ソナタ》で目が覚めた。といっても記憶の中であちこちのフレーズが鳴っているというもの。Alfréd Holečekの弾く演奏を昨日聴いたのが、尾を引いている。

ブログのサムネイル画像が商品になっていたので、イラスト化するためにごそごそ画像検索していたら、なんとラフマニノフのニコッとした動画を発見。追記して、イラストも作成。 なかなかの出来映え。

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2月15日(Mon)

朝起きたら雨降り。目覚めてなお、頭の中でずっとプロコフィエフの《チェロ・ソナタ》が全楽章まんべんなく鳴っている。しぶとい。

仕事から帰ってシャワーを浴びていたら、マーラーの《交響曲第3番》の第2楽章を久しぶりに口ずさんでいた。昔一時期、ひんぱんに風呂場で口ずさんだ音楽。非常勤の仕事の契約がこの3月で無くなることが深刻化しているだけに、関連あるのだろうか?(ない)

 

2月17日(Wen)

昼休憩に図書館で吉田秀和エルガーに長らく抵抗感があったけれど、プレヴィンの指揮するチェロ協奏曲を聴いての感想があった。ほんとかしらん。

 

 2月18日(Thu)

ついにこの書き込みも1週間となった。

今日も吉田秀和を昼休みに読む。トスカニーニが暗譜に長けていた人で、どうしても思い出せずにしまったアクシデントを機に引退したとか、ショルティの振り方は独特とか。

息子がグリーグの「山の魔王の宮殿にて」を音楽の授業で聞いて、すごく気に入ったらしい。YouTubeで調べて聞かせてくれた。