クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

純文学的な回想録~北杜夫『母の影』

先日、斎藤由香『猛女とよばれた淑女』を読んで、「読書数珠つながり」みたいに北杜夫『母の影』を読みはじめた。

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「神河内」から始まる戦時中の回想は、非常にきめ細かい描写でびっくりする。何十年も昔のことをこんなにも生き生きと表現する北杜夫の記憶力は、どこから来るのだろう。要所々々に描くその時々の昆虫類の記憶、自然の道端の記憶、当時の感想まで、まるで日記を見ていると勘違いするほど、描写力がすごい。

意外だったのは父・斎藤茂吉への傾倒ぶりだった。自由奔放なエッセイを得意とする北杜夫の、別の一面を見る気がした。父の歌集に惹きつけられ、自分自身でも歌を詠んでみたりしている。実際に家族として会う人間茂吉と、歌人茂吉との間のギャップに、相当複雑な心境だったらしいが・・・。

そんな多感な青年が、ある旅館の女将から、

「あなたのお父さまは立派な方だが、お母さまはそうでありませんね」

と聞かされる。「神河内」の戦時中から隔絶された穏やかな自伝短編に、不穏な一言が響く。たったの一言が、その短編を一瞬に寒色系へと染める。


『母の影』は真摯に過去の家族と向き合った自伝であり、純粋な文学作品となっている。先に逝く父の老いと死(立ち会えなかった)、長生きして旅に生きた母に時に振り回されながらも彼女の老いと死(立ち会えなかった)。

人はみな老いていくものだなと、描かれる死にしみじみと思う。当たり前だけど。



母の影

母の影