クラシック好きの休日

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ディストピアは14歳で終わるのか?~三島由紀夫『午後の曳航』

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三島由紀夫の小説『午後の曳航(えいこう)』をしばらく前に読んで、眠らせていた。読んだ後、なんだかよくわからない霧のような無理解が生じてしまったから。

 

※内容的にネタバレしながら考えていくので、あらすじを知りたくない方はご注意ください。

 

まず未亡人の母と息子(13歳)がいる。息子は夜になると部屋の鍵を掛けられる。まるでお伽噺のような設定。閉じ込められる理由はあって、悪い友達にこっそり会えないように、というもの。

息子の部屋は母のちょうど隣の部屋で、覗き穴まである。初めは母の裸を覗いていた。ところが、母も男を作って連れ込む。大人の愛の現場を見てしまう。性的な際どい表現は抑えられ、三島の筆は回りくどい。

僕がアメーバだったら、と彼は考えていた。極小の肉体で、このいやらしさに打ち克つことができるだろう。人間の中途半端な肉体は、何ものにも打ち克つことができない。

覗きながら、少年がこんな哲学的なことを考えている。三島らしい、どこかずれた現実と思考。

母が連れ込んだ男はたくましい体つきの船乗りだった。たぶん三島自身の鏡像だろう。少年(彼もまた三島自身の理想を夢見る仮の姿だろう)にとっては船乗りはあこがれの英雄的存在だった。ところが、母と正式に付きあい、船を降り、母の経営する会社を手伝うようになる。似合わない服を着て、慣れない事務仕事をはじめる。

少年と友人たちはこの英雄の没落を否定的にとらえた。そして、

「そいつをもう一度英雄にしてやれる方法が一つだけある」

少年たちは元船乗りを連れ出し、父となるはずだった男を処刑する。

(14歳未満の)今を失ったら、僕たちはもう一生、盗みも殺人も、人間の自由を証明する行為は何一つ出来なくなってしまうんだ。 

少年たちの首領は主張する。

血が必要なんだ!(中略)僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取って、死にかけている宇宙、(中略)死にかけている大地に輸血してやらなくちゃいけないんだ。 

 どことなくギリシャ神話の英雄伝説めいている。没落した英雄を死によって蘇らせる発想。今(13歳)でなければ手遅れだとする宿命論的な発想。

 

だからといって、殺された日にはたまったものではない。この『午後の曳航』が表現しようとした残酷さは、子どもの無邪気さとは無縁な、社会性から逸脱したもの。独自の哲学、グループ間で共有したユートピアを、実現させることに重きを置く。少年たちの主張を読んでいて、私がよく理解できなかったのは、母や元船乗りたちの大人の社会の仕組みを根底から否定していることからきていたのだと思う。

現実に英雄神話を重ね合わせることができた時代、そうした価値観の古代社会であれば、仮想空間で英雄として蘇ったとして、死(処刑)を許容しただろう。

果たしてディストピアは14歳で終わるのだろうか?

 

午後の曳航 (新潮文庫)

午後の曳航 (新潮文庫)

 

 200ページに満たない作品なので、一気読みにちょうどいい長さです。