クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

一度創られたものは変わらない、という残酷さ

f:id:yomkik:20200913211049j:plain

創作は個人的な作業であると共に、社会的な作業でもある。極端な例を挙げれば、ショスタコーヴィチは国家のために創作を何度も傾ける必要が生じた。生きるために。

創作は基本的に個人の著作権にのっとっているので、現在あるものが不変の形態である。
そして、名作といわれるものは、創作上の謎を含めながら完璧であるので、それ以上の変えようがない。

 

しかし、世の中には名作ばかりがあるわけではない。
初演当初から不評なまま陽の目を見ないものもあれば、どうもパッとしない箇所が気になるものもある。そうした場合、聴き手がよくする方法が、「ここまでは聴くけれど、あとは聴かない」である。

 

私にもそうした例はある。
ベンジャミン・ブリテンの『ピアノ協奏曲』は第1楽章冒頭から元気溌剌な楽しい音楽。機知に富んだスピード感が大好きすぎるほど。ところが、カデンツァの手前でそのテンポの処理が野暮ったくなる。途端に幻想から覚めてしまう。これはすごく勿体ない。いつもそう思いつつ、演奏を止めるか、溜息まじりにその個所が過ぎるのを我慢する。

 

おそらく、別の解決もあっただろうと思うが、ブリテンはこれで了としてしまった。ブリテン自身、その失敗に気づいていない可能性もある。

結局、プロコフィエフにもラフマニノフにもバルトークにも、ブリテンの『ピアノ協奏曲』は敵わない。

 

もし、これからの世の中がもっと便利になり(それは十分考えられる)、既成音楽を自分なりにアレンジしたり新しいフレーズと差し替えることが可能な時代がくるだろう。もちろん著作権は守られなければいけないので、個人の楽しみのためだけに改変、と限定的にはなるはずだ。その時、たとえばブリテンの『ピアノ協奏曲』カデンツァ手前を編集して、違和感なく楽しむことができるようになれば、私は繰り返しブリテンを好んで聴くだろう。

 

f:id:yomkik:20200913211049j:plain