クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

黄泉下りと思春期の物語~『ムーミンパパ海へいく』

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トーベ・ヤンソンムーミンパパ海へいく』(小野寺百合子訳、講談社文庫)はどこか物悲しい。

 

灯台守のいなくなった寂れた孤島へ渡り、新しい灯台守としてムーミンパパは家族を養うことになる。どういう経緯があって、パパが選ばれて、その仕事で何が保証されているのか、その説明は一切ない。パパの部屋には精巧な模型があったり海図があったりするが、実はパパには灯台守の経験がない。不思議な話だ。さらに不思議なのは、ムーミン谷の仲間の誰にも言づけず、ある日ふらっと行ってしまうこと。

だから次作『ムーミン谷の十一月』では、不在のムーミン家に仲間たちだけが集いだすことで話が展開する。

 

最初に読んだときは、ただただ憂鬱な島でのパパの失敗談だと思った。石ころだらけの無計画旅行。二度目に読んだとき、登場人物たちの島への向き合い方に興味を持った。三度目に読んだとき、これはムーミン版「黄泉下り」だと思い当たった。

 

あれほど豊かなムーミン谷を離れてまで、冒険するには殺伐とした島。いるのは正体不明の漁師だけ。灯台守の仕事を引き継ぐどころか、鍵を探すことから始める始末。どうも様子がおかしい。

パパは誰に委嘱されて来たのか?思い付きで勝手にやって来たのか?照明器具の使い方も知らずに?

 

話のテーマは家族の島との関りに浸透していく。パパは島の研究まで始める。ミーは島の隠された秘密を探る。ママは何とか島に適応しようとする。

そしてムーミントロールの思春期が、全体に描かれる。孤独に、憧れ、傷つきながら、夜の砂浜に何度も出かける。モランとの対峙と邂逅には、はっきりした説明がないながらも、あっと思わせる場面である。

 

ムーミンパパ海へいく』はトロールの黄泉で体験する成長物語ではないのか?彼らは一度死の世界をさまよい、英雄ではないが生きる力を得る。そして彼らの「黄泉下り」からの帰還は、シリーズ最終巻『ムーミン谷の十一月』の結末を待たなければならない。そんなふうに私は解釈した。