クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

新しいことに出会うこと、古いことを思い出すこと

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新しいことに出会うことは、古いことを思い出すことだ。

道に迷ったとき、本を読んでみたり、音楽を聴いたりする。

それはなんでもないことだ。逃避といわれようが誤魔化しといわれようが。

時々、ハッとさせられる文章に出くわす。

心の奥底を揺さぶられるような響きに魅了される。

だいたい、その共感自身は、私自身の中に噛み合うパーツがあるからだ。

それはたいてい古い。だって、私は未来に生きたわけではないのだから。

もし未来だと思ったとき、それは過去に描いた未来像だったりする。

 

プロコフィエフの音楽が好きな人の心には、独特の個性が潜んでいる。

ベートーヴェンの音楽が好きな人な心にも、また別の独特の個性が広がっている。

ある作家の小説が好きな人の心には、音とは違った言語世界が独自に潜んでいる。

違いは、そんなにない。だけど、微妙に違う。ほんのわずかだけど。

だから、会う合わないは相性と言い切ることだってできる。

誰もが共通してどんなアーティストの作品を受容できることなんて、ありえない。

 

でも、どうしてだか人の心には、なんらかの視聴覚的な受容体がある。

聴くことがエネルギーになる人も、読むことが道標になることもある。

でも、ひとはそんなに単純ではないから、どうしてなのかまだわからない。

わからないまま、それでもマッチングを試みて探し続ける。

見つかった時はまさに幸運だ。

 

私がプロコフィエフに夢中になった時のことを思い出す。

100曲以上もある作品番号の音楽と、演奏家の数だけの解釈をひとつひとつ辿る。

プロコフィエフには新作は出てこないが、演奏解釈は途切れることなく現れる。

まるで生き物のようだ。

そんなことを二十歳前から30年繰り返した。

 

その幸せは孤独のまま抱えていいのだと思う。

共感できる他者は、遠くまで探しに行かない限り現れることはない。

インターネット上の世界のどこかには、似たような感慨をもつ人がいるかもしれない。

私の文章を読んで、「あ」と響いたとしたら、ただの偶然です。

ビリヤードの球があなたの球のどこかに、かすめて過ぎていっただけです。

あとはご自分なりに転がって、噛み合うパーツを思い出すことができたら、

いいなと思います。

 

だれの古い記憶にも、「あっ」とマッチングする音楽や物語は、

宝くじの当選確率よりももっといい確率で、この世の中を流れているはずです。