クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

心の闇の『ヒンデミットの主題による変奏曲』自作自演盤

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ふと岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書)を読みだしたら、前世紀のドイツの音楽評論家パウル・ベッカーが、芸術作品が心に強く働きかけるのは、もともと自分自身の心の内面に隠れていたものに光が当たった結果だと言っていた紹介されていた。なるほどなあと思った。

 

イギリスの作曲家ウィリアム・ウォルトン(William Walton)の管弦楽曲ヒンデミットの主題による変奏曲』(1963年)を聴くたびに、なんともいいようのない感情が溢れてくる。

この主題は、ヒンデミットのチェロ協奏曲(1940年)第2楽章から借用している。全体的にヒンデミットらしい古典的なキレが生きている音楽だ。

ヒンデミットは音楽の真髄にいつも近づこうとしていた。だからこそ追随者もたくさんいたし、たくさんの音楽を残した。一方、ウォルトンには音楽を極めようという意欲が感じられない。言っては申し訳ないが、作曲の技巧的には大したことのない凡庸な音楽だ。不器用だし、洗練されていない。『変奏曲』の管弦楽のキレは本家本元にはとうてい敵わない。

 

それなのに『変奏曲』にハマった。23分にわたる主題と変奏を、ずーっとかけ流しているだけで満足だった。単純なハマり方だった。

おまけに初演 ”This recording of 8 March 1963 is the world première." (ブックレット、p. 9)と明記されているその演奏でないと、私は萌えない。

ジョージ・セルが振った録音も見つけて聴いたものの、これは別の音楽だと思った。指揮がプロすぎた。縦の線も横のつながりもビシッとキメている。アイロンのかかったジーンズのようだ。それはそれでいいのかもしれないが。

初演の盤はウォルトン自作自演で、「なんだかもたついている」「縦の線が微妙にずれる」などが多く、それがゴーストみたいに聞こえることもある。それが味わいを出しているのかどうかも、正直なところ微妙。ヘタウマかと考えたこともあったが、それにしてはひどすぎる。説得力がない。

 

初演であることを知ったのはずっと後だった。また、自作自演はフツー他の演奏者より勢いづいて上手かったりするものだから、気に入るようなプレミア要素にも該当しない。

 

どうして、この録音にハマったのか?私にとって十年以上の謎だった。アンティークのよれよれダメージジーンズを「すごいだろ」と自慢しているような気分だ。

音楽評論家パウル・ベッカーさんの説くところの、「私の闇にあるもの」に光が当たったからなのか?それはどんな闇なのか?とても気になる。

ディスク自体は廃盤らしいので、オンライン配信で自作自演を見つけたら、あまり期待せずにぜひご一聴ください。どうぞ。

www.discogs.com

 

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)