クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

読んだ人の数だけ違う読み方ができる~村上春樹『一人称単数』

村上春樹の『一人称単数』は2020年最新刊。COVID-19のため書店に行く機会も少なく、かつての異様な盛り上がりもファン層の変化から鎮静化したこともあり、今回はきわめて静かな出会い方ができた。私の場合は、ネットのサイドバー広告に現れてきて、出版を知った。

 

この本は、村上さんが70歳前後に書いた。と、指摘されなければわかならい若い文章力をもっている。彼のイメージが古希に似合わないのは、どうしてだろう?男と女の様々な描写も、爺さんの表現ではない。(爺さんといえば、木村進井上竜夫のイメージが浮かぶ。私の爺さんイメージが時代遅れなだけだろうか?)

 

この短編集全体には、「リアル - 非リアル」がきわめて曖昧になっている。本当のこともあれば、虚構も混ぜられている。だから、エッセイと小説の境界線が、複雑に交錯する。それが本当だったら、許せないような「僕・私」の行為も、「非リアル」かもしれないというモヤモヤのなかに放り出される。

 

品川猿の告白」に合わせて、昔の『東京奇譚集』所収「品川猿」も振り返ってみた。15年も昔の短編集は、紙がさすがに少しくたびれた色をしていた。しかし、そこには瑞々しい情感が流れていて、登場人物の思いが下水管のように細かく交錯してつながっている。「告白」では、設定を「三人称」から「僕」に切り替えての続編。

 

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 

 

クラシック音楽やジャズ音楽に関するエピソードも、散りばめられていました。そういう話って、意外なくらい記憶に残る。一度通っただけで地理感覚を記憶するように。

 

全体は、男と女の感情の行方に焦点が合わされている。身の回りのあちこちに焦点があって、あちこちにピンボケがあって、あちこちが画面から切れている。読んでしまった後の印象は、それらのあちこちの像をつなぎ合わせる作業だったりする。読み手が100人いれば100通りの読み方ができそうなほど、人をつなぐ糸は一通りではない。

100%の女の子」の頃の村上さんからすれば、確かに若いけれども「超然」が現われはじめているとも思う。そうした「超然」は避けては通れないし、なければないで不安を醸し出す。

人生なんて、そういうものだ。

村上さんだって、そういうものだ。

 

一人称単数

一人称単数