クラシック好きの休日

隔日更新。特にクラシック音楽と本について。

プロコフィエフの音楽には、いつも希望がある

私はクラシック音楽を聴いて育った。歌謡曲も好きだったけど、集めたのはクラシック音楽だった。

でも、ものごとは数が増すほど凡庸に思えてくる。ハイドンベートーヴェンも、精細さを失うときが必ずある。

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そんな倦怠期の私が何度も「音楽へのときめき」を取り戻したことがある。それはいつも偶然に。流れてくる音楽は、決まってプロコフィエフだった。

それぞれに私は思い出がある。初めて耳にしたとき、必ず驚きがあった。

ほかの作曲家でこれほど「ときめかされる」ことは、私にはない。「胸を打たれる」ことはあっても、「恋焦がれ」はしない。彼の音楽にときめくとき、私はきっと「壮大な未来への希望」を見ている。

私が大学所属のときの話。気づくと、誰かが上のフロアでピアノの練習をしているのがわんわん響いてくる。もちろんまだ私は、その音楽が誰の作曲したものか思い当たらない。ゆっくりと、ゆっくりと、音階が不安げに上昇していく。この音楽がどこを目指そうと奏でているのか気になって仕方なくなる。未来都市の陽炎が立ち昇るような興奮さえ覚える。

いても堪らずその男性ピアニストのもとへ行く。タイトルを訊ねると、プロコフィエフの『悪魔的暗示』だという。私は驚いた。プロコフィエフは相当聴き尽くしたつもりでいたからだ。そういうものだ。また、3倍も4倍もゆっくりと音を拾って弾いていたので、本来の響きの効果と違うはずだが、それでも私は恋に落ちた。そういうものだ。

 

プロコフィエフの音楽には希望がある。


S. Prokofiev, op. 4 Suggestion Diabolique(悪魔的暗示)